"SOTOKOTO" April 2001 Issue
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昨日、ブラジルのリオから帰ってきた。ニューヨークとの時差、3時間。南半球なので、今は夏の真っ最中。カーニヴァルまであと1ヶ月、通りがかりに深夜まで続くサンバ・スクールの熱狂的なリハーサルが聞こえてくる。連日摂氏35度。氷点下のニューヨークから行ったので、身体が温度差に慣れるまで大変だった。ぼくは、エアコンをつけないで寝るから、暑くて夜中に何度も起きてしまい、寝不足の日が続いた。リオにいる、と言うとみんな「いいわねー」なんて言うけれど、もちろんヴァケーションで来ているのではなく、仕事だった。寝苦しくて睡眠不足なのは温度差のせいだけではない。
今回の仕事は、ジョビンの音楽をまさにジョビンの自宅の彼のピアノを使って録音するというものだった。生前ジョビンと15年も共に音楽をしてきたモレレンバウム夫妻と一緒に。ジョビンの長男、パウロ・ジョビンも2曲ヴィオラオンで加わった。家のそこここにジョビンの魂が息づいている。書斎の大きな窓から見えるコルコヴァードもラゴアも、彼が見ていたであろう姿のままだ。ピアノの鍵盤には、はっきりとジョビンの指跡が残っている。
ジョビンは生前、自分は鳥だと語っていたそうだ。書棚には古びたカスタネダの本がある。一曲目を録音している時に、ぼくのピアノソロが終わったとたん、空けっぱなしの窓から鋭い鳥の声が飛びこんできた。「おい、サカモト、それは俺のピアノだ。かわいがって弾いてくれよ」と、少し皮肉をまじえた哄笑のように聞える。パウラ・モレレンバウムがニューヨークにいる未亡人のアナにその話をすると、彼女は鳥肌がたった。6年間死んでいたピアノがまた生き返り、音楽が家の中を満たしていく。長年ジョビンに尽くしてきた使用人たちは、洗い物の手を止めて音楽に耳をそばだてる。ジョビンは、20世紀生まれの天使の一人だ。
こんな具合だから、毎日ぼくの感情は昂ぶりすぎてアドレナリンが出っぱなし。夜、なかなか寝つけない。しかし、疲労の理由はそれだけではなかった。リオは一千万人を擁する大都会だ。しかし、その都市のあちこちに大きな岩山がある。その一つ、コルコヴァードには巨大なイエスの像が東に向け、両手を広げて立っている。ぼくの勝手な推測だが、ここは重力が大きい。重力がそんなに局所的に差があるものかどうか、ぼくは知らない。あるいは、あえて非科学的に言えば地力が大きいと感ずる。ここに生きている人間も動物も昆虫も植物も、その大きな地力に逆らい、あるいは恩恵を受けて、とても生体エネルギーが高い。安い値段でふんだんにあるフルーツや野菜も、非常に生体エネルギーが高い。こんな所でふだん生活している彼らが、重力の小さい土地に来ると、もうれつに体が軽くなって行動力が増す。言ってみれば「巨人の星」の星飛雄馬が「大リーグボール養成ギブス」をはめて訓練した後、強大な力を発揮するのと同じように、ジャック・モレレンバウムなどは日本でもヨーロッパでも飛ぶように行動している。そのジャックがリオではおとなしく見える。きっと本人としては、あれがリオでの普通の状態なのだ。
リオで9年前に世界環境会議がひらかれ、ジョビンも参加した。街にはゴミが落ちてない。ニューヨークとは大違い。17キロに及ぶビーチにもゴミが少ない。17年前に始めてここへ来た時、朝早くオレンジ色の制服を着た清掃人たちが、広大なビーチを端から端まで並んでゆっくりと清掃していた姿を思い出す。さすがに「奇跡の環境都市」クリチバのあるブラジルだ。年々人口が増加する街をおしのけて屹立する岩山の自然も守られているように見える。と同時に、今でもアマゾンの伐採は続いている。ジョビンは、「神が、こうもあっけなくアマゾンで三百万の樹木を打ち倒させているのは、きっとどこか別の場所で、それらの樹木を再生させているからだろう。そこにはきっと、猿がいれば花もあり、きれいな水が流れているに違いない。僕はね、死んだら、そこへ行くんだ」と言っている。
録音している最中、ジョビン宅の裏庭に突然亀が姿を現わす。亀は、明治生まれの知人の祖父のように意志が強そうに見えた。あれはジョビンの祖父、不可知論者のアゾールの化身だったのか。

註1.このCDのリリースの予定はまだたっていない。秋ごろには出せるといいんだが。
註2.ジョビンの妹、エレーナの書いた伝記「アントニオ・カルロス・ジョビン」(青土社)は必読書だ。

(SOTOKOTO 2001年4月号より転載)

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© 2001 Ryuichi Sakamoto