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報復しないのが真の勇気
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2001 09 22

 テロリズムはなんとも卑怯(ひきょう)だ。テロによって影響を受けたあらゆる人々に深く哀悼の意を表したい。ぼくもこの事件で腰が萎(な)えるようなショックを受けた。第一報を聞いて、いてもたってもいられなくなり、カメラをひっつかんで通りに出た。炎上するWTC(世界貿易センター)ビルを茫然(ぼうぜん)と見ていたが、いくら凝視してもその光景は超現実的で信じられなかった。

 ダウンタウンの大きな病院の前には、たくさんの医師と看護人が出て、大勢の人々が献血のために集まってきていた。その時、大音響とともにさっきまで存在していたWTCビルが消滅し、黒煙だけがたなびいていた。あの黒煙の中にはアスベストだけでなく、ダイオキシンを含む多数の有害化学物質が大量に含まれているのではないか、という考えも頭をよぎる。

 TVではブッシュ大統領が「これは戦争だ」と宣言した。ついで、小泉首相がそれを支持する声明を出した。しかし報復をすれば、傷つくのはどこにも逃げ場のない子供を含む一般市民だ。小泉首相は平和憲法をもつ国の代表として、いかなる戦争行為も支持するべきではない。ましてや無実の市民が傷つくことも辞さない戦争に加担するわけにはいかないはずだ。そして戦争支持宣言をしたことで、同様のテロ攻撃が日本にも及ぶ可能性が増すことになった。一国の首相として、国民をあえてそのような危険にさらしていいのだろうか。なぜ国民の側から疑問の声があがらないのだろうか。

 もし日本の首相が憲法に基づいて戦争反対を表明し、平和的解決のための何らかの仲介的役割を引き受ければ、世界に対して大きなメッセージを発し、日本の存在を大きく示すことができたはずだ。その絶好の機会を逸してしまったが、まだ遅くはない。これは日本のためだけではなく、21世紀の国際社会への大きな貢献となるはずだ。

 ぼくは思う。暴力は暴力の連鎖しか生まない。報復をすればさらに凶悪なテロの被害が、アメリカ人だけでなく世界中の人間に及ぶことになろう。巨大な破壊力をもってしまった人類は、パンドラの箱を開けてはいけない。本当の勇気とは報復しないことではないか。暴力の連鎖を断ち切ることではないか。人類の叡智(えいち)と勇気を誰(だれ)よりも示せるのは、世界一の力を自ら動かすことのできるブッシュ大統領、あなたではないのか。

 事件から最初の3日間、どこからも歌が聞こえてこなかった。唯一聞こえてきたのはワシントンで議員たちが合唱した「ゴッド・ブレス・アメリカ」だけだった。そして生存の可能性が少なくなった72時間を過ぎたころ、街に歌が聞こえ出した。ダウンタウンのユニオンスクエアで若者たちが「イエスタデイ」を歌っているのを聞いて、なぜかほんの少し心が緩んだ。しかし、ぼくの中で大きな葛藤(かっとう)が渦巻いていた。歌は諦(あきら)めとともにやってきたからだ。その経過をぼくは注視していた。断じて音楽は人を「癒(いや)す」ためだけにあるなどと思わない。同時に、傷ついた者を前にして、音楽は何もできないのかという疑問がぼくを苦しめる。

(朝日新聞オピニオン面「私の視点」欄(9/22)より転載)


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© 2001 Ryuichi Sakamoto

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